被リンクとページランク
2008.12.31
一週間もブログ更新を怠ってたらmixiからの被リンクが切れた??みたい。
そしたら非常~に分かり易いことに
このブログのページランクが4から3に降下しました (苦笑
アクセスの解析をチェックしたら
徐々に増えつつあった検索エンジンからのアクセスが
ここ2,3日減りまくり。
とはいえこのブログの元々ページランクは優秀なほう。
その辺のアフィリエイターのブログなんかだと
ページランク3でも喜んでますもんね。
それがこのブログは、開設1ヶ月ぐらいでなぜか急に「4」に。
特にSEOの知識とかあるわけでもないんだけど
何が決め手になってるかと言えば
やっぱり「テンプレート」。だと思う。
このブログのテンプレート(雛形)はブログSEOの専門家が作ってくれたものなんです。
まぁもちろん有料ですが。
このブログ読者さんにはアフィリエイターとかあまりいなそうですが
ちょっとだけ簡単に説明すると
テンプレート以外の要素としては
・まぐまぐからの被リンク
・mixiからの被リンク
が特に大きな要素だと思います。
ブログへの強力な被リンクが欲しい人は
メルマガ発行スタンドとmixiからの被リンクは獲得しといた方がいいです。
共に強力なページランクを持ったサイトですので。
まぐまぐでメルマガ発行してる人は
どうせだからついでにメルマでも発行申請だけしといて
被リンクだけもらっとくと良いです。
善き友を持てば…
2008.12.23
お釈迦様に、弟子の阿難(あなん)尊者が
「善き友を持てば、仏道修行を半ばは成就したことになると思いますが、
いかがでしょうか」
と尋ねたところ、お釈迦様は
『それは違う。仏道修行のすべてである』
とお答えになったとか。
これ深い。深いですねぇ!
善き友に恵まれるか否か。
もちろんそれによって人生の楽しさに大きな違いが出てくることだと思います。…が!
そういうことを言いたいのではないように思います。
(無宗教、無学、アホの個人的見解です^^)
「友」=「自分を映す鏡」
だと僕は思ってます。勝手に。昔から。
で、仮に本当に自分を映す鏡だとしたら
自分自身を映し出した友が「善き友」なら…
もうその時点で自分は善い状態ってことですよね。
(良い⇒一般的 善い⇒道徳的)
更に言うなら、今居る友を「善い友」とするか「悪い友」とするかは自分次第。
どんなくだらなく感じる友でも、そいつから学ぶことは必ずあるハズ。
そんな点を見出そうとできるか、それともそいつの存在を否定するかは自分自身の選択。
あ、もちろん、付き合う人を選ぶってのも時に大切だと思うけど。。。
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八風吹不動天辺月
2008.12.23
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『八風吹不動天辺月』
⇒八風(はっぷう)吹けども動ぜず天辺(てんぺん)の月
⇒⇒天空に冴え渡る月のように、どのような風が吹いても動ずることなく
誠を貫き通す覚悟を持て
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森永製菓 創業者の一人、松崎半三郎氏が坐禅していた自宅の茶室に
掲げられていた書。
(書いたのは永平寺貫主・日置黙仙(ひおきもくせん)禅師)
松崎半三郎とは、現在の森永製菓相談役・松崎昭雄氏の祖父。
創業者・森永太一郎とともに森永製菓の礎を築いた人物。
当時、『腕の森永、頭の松崎』と言われた。
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愛と理解-養育者・岡上菊栄
2008.12.22
誰もが日常、理解に苦しむような人と出会うことがあると思う。
相手を理解する、とはどういうことか。
【理解】
理を解く(ほぐす、取り除く)。
つまり、理屈・理論ではない。
…ということは、残るは一つ。
心、ということ。
理解とは、頭で納得するものではなく心で感じるもの、と。
また、英語では【understand】。
つまり自分が相手より下に立つ、と。
要するに「教わる」という姿勢。
これは「人生皆師なり」という精神に繋がる。
全ての人から「教わる」つもりでいる精神こそ
すべての人を理解し、大きな器で受け入れてあげられる精神。
理解しずらい相手を理解するには
・「教わる」つもりで
・「●●(相手の状況)だから仕方ないんだな」とか、そんな頭で解釈する理屈ではなく
心、感情で相手から伝わってくるものを大事にする
よく、
「あの人も●●だから仕方ないんだよね」
なんて理解した風の意見は出てくるけど
そんな理解した風の人は自分が実害を受けたらたちまち理解を示さなくなる。
相手を理解しようとしない人は
「おまえは●●だからダメだ」とか
「●●はしちゃいけない!」とか
そういう否定的な単語が口からよく出てくる。
それを、理屈でなく心を大事にする本当の「理解」がある人(親)だと
「●●にしたらもっと良くなるんじゃない?」とか
「●●するのもいいけど、こうするのはどう?もっと楽しそうじゃない?」とかとか(=などなど)
昔、自分の親を見ていてムカツイたこと。
子供がこんなこと考えているのもオカシナ話しではあるけど…
子供の私が何かをしようとすると
「ダメっ!なにやってるの!」と来る親。
そんな親に対し子供ながらに
「いちいち『ダメ』とか言うなよ」
と感じた。
子供に方向性を示すことが大切だろ?子供を否定するのが親の務めか?
と強く感じた。ガキんちょながら。
例えば猫背な息子がいたとする。
猫背で、声が小さく、どことなく自信が無さそうに見える息子。
そんな息子に、なぜか親はイライラする。
そして、「あんた、何度言ったら分かるの!?なんでいつもそんなに姿勢が悪いの!・・・」と。
そうじゃないだろ。
そんなグチグチ言うんじゃなくて、ピシっと一言
『背筋伸ばせっ!』とか『胸を張りなさい!』とか『顔を上げて歩けぃ!』と…
それでいいだろ??
いちいち自分の子供のやることなすこと否定してないで
ピシっと「こうしろ!」と示して、示し続ければいい。
「もう何度も言ってるのに、この子ったら全然治らなくて・・・」とか。
だから自分はもう子供に言うのを止めた?
そんなあんたの努力できない、継続できない姿がそのまんま子供へ
鏡のように映し出されるだろうな。
と。
書いてたらいつの間にかもの凄く感情的な文へと変移してきた(汗
「社会福祉の母」と呼ばれる、日本初の雇用された専門養育者 岡上菊栄さんの
雑誌にあった特集記事を読み終わってから思ったことをそのまま書いてみた。。。
せっかくだから、岡上菊栄さんが残した言葉を。(以下「致知12月号より一部抜粋)
ある時、山中で動物と一緒に数年間暮らし山猿同然だった十歳の娘を
5年の歳月のうちに可愛い少女へと成長させ、
そのあまりの変貌ぶりに目を疑った村人たちに教育方針を問われ
『「愛なくして何の教育ぞ」とはまことに輝く真理でございます。
愛と理解こそ人間教育の最も優秀な武器でございます。』
と。
愛と理解、、、うんうん。
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イチローの人間性
2008.12.22
イチローの出身校、愛知工業大学名電高校。
当時の野球部監督、中村 豪さんの随想より。
『非凡な野球センスを持っていたイチローだが、
練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、
これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。
そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり、私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。』
『高校時代のイチローを思い出す時、必ず浮かんでくる場面がある。
彼にとって高校生活最後の県大会。決勝戦で敗れ、
惜しくも甲子園行きを逃したナインは試合後、抱き合いながら号泣していた。
イチローはうな垂れる選手たちを尻目に応援団席に歩み寄り、
ユニフォームを着れなかったたった一人の同級生に「ごめんな」と声をかけていた。』
『いまや世界のスーパースターになったにもかかわらず、
彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。
私がイチローを育てたと言われることがあるが、
私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。』
はぁ~。。。人間教育って大事ですね。
天才と言われる人ってよく、素晴らしい包容力を持った母親の存在がありがちですけど
結局それは「人間性が天才を生み出す」ってことに繋がってるのかもしれないですね。
ん~。。。もっと小さいころに本読み漁っておくべきだったなぁ。
両親の話しが出てこない「天才」の場合、
「小さいころに本が大好きで・・・」ってのがよくあるパターンですよね。
(パターンって言ったらなんか失礼ですね 汗)
親の教育が多少ズレてても、成長していくなかで
なるべく早い段階で良い本に巡り合うことができてれば
それだけでその後の人生が大きく変化していきそうですね。
人間性、だな。
あ、今回の元監督の随想も、引用は『致知12月号』から。
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